2014/10/18
05:15:20
訃報!ここ数日で、私が大変お世話になってた、大事な関係者が二名、お亡くなりになりました。
数日前に、私が男を磨いた、日本最大任侠組織時代の兄貴分だったS氏と、今朝からトップニュースになってる、
横浜瀬谷の桐峰会病院の医院長である、松本先生です!
※S兄貴!ご無沙汰しております!何と言ってよいのか言葉も見付からず、愕然としております!
アチコチで、トラブルや問題ばかり起こして、迷惑や面倒ばかりかけて、時にはケツモも持って、力になってもらい、
協力もしてもらいました!「山ちゃんはいい男だな」や」「山根のやっている事は、ヤクザより悪いよ」など、
ホメてもくれた言葉も、今でも印象に残っています!
上下関係や、ヤキも当たり前の任侠の世界でも、兄貴から電話では、怒られた事は何回もありましたが、自分には目の前では手は出さずに、一回だけ、誤解により、顔面に軽~く、一発だけワンパンを食らった事はありましたが、全然痛くなかった「軽~く」は、元ボクサーだった兄貴からしたら、自分に対しての、手加減した思いやりだったですよね!
自分が刑務所から出所して「もう更生して真面目になるから、不良の連中が嫌いになった訳ではなく、
ケジメの気持ちとして、不良仲間とは、縁を切るお話をして、兄貴とも縁を切るお話をさせてもらって、
兄貴にも納得してもらい、疎遠になってましたが、幾ら縁を切ったとは言え、色々とお世話にもなり、
自分が任侠の世界で、男を磨いた時代の、男を磨いてくれたのも、兄貴でした!
自分が「縁を切っても、自分の胸の心の中では、いつまでも心の兄貴でいて下さい」とは、
それは、兄貴との最後の会話でも、伝えましたよね!
自分は、S兄貴と出会えたから、今の自分があると言う、人物の中の内の、兄貴は一人です!
兄貴は厳しさの中に優しさがあり、美人で性格も最高の、姐さんとの共に思い出もたくさんあり、
縁を切っても、自分の胸の心の中では、いつまでも心の兄貴でした!
でも、今は本当の意味でも、自分の胸の心の中では、いつまでも心の兄貴になってしまい、複雑な心境です!
今後は、曲がった事が大嫌いだった、S兄貴魂を胸に秘め、任侠道としてではありませんが、「男」としての人生を邁進して行きます!またお互いに生まれ変わったら、再会しましょう!
男前で、地元大口の神様的存在で、横浜S40年代トップアウトローで、横浜歴代トップクラスアウトローで、
若い衆思いで、性格も男義も最高の兄貴分だった、S兄貴追悼!永遠成り!

この一覧表の一番上の、一番左がS兄貴。好健会最高顧問兼山根会最高顧問にも就任してくれてて、心強かった。

【S兄貴とのエピソード修羅の青春記編】
◎同じくここの組の時、自分とS兄貴とI叔父貴と姐さんと組員四人の計八人で高速道路を走行中、
I 叔父貴と姐さんの車が、一台の別の極道幹部のベンツに煽られ、事故をしそうになった為、その交通トラブルから
七人で降りて行き、まず自分がそのベンツの上に上がり車を潰し、その極道を皆で山奥にさらい、
皆で 殴る蹴るの暴行のリンチを加えた。しかしこの極道も顔面を腫らしながら音を上げず、
命乞いもせず根性が入っていた為に ヤキが終わった後、自分は「根性入ってるよ」と声をかけた。この件はその後、
一悶着あったが、手打ちとなった。この件で上部団体であるG会本部のU代行が、
「しかし、Sと山根は無茶苦茶やりまんのう」と言っていたらしい(笑)
と(器物損壊、逮捕監禁、集団暴行)
【修羅の青春記抜粋】
◎自分が25歳の、日本最大最強任侠組織系組員の時、自分の兄弟分T氏(後に、好健会最高顧問となる)や、
自分の兄貴分S氏(後に、山根会最高顧問や好健会最高顧問となる)の多数の武勇伝の内の一つだが、
T氏の方は横浜某所で、T氏達組員四人で車に乗っている時、ベンツの二人組の極道と交通トラブルになり、
T氏が一人で、二人組の極道に、暴行を加え〆たり、T氏とS氏と、もう一人の組員S氏の三人で、東京の某駅周辺の
某所を歩いていたら、極道が乗るベンツが、乱暴な運転で走って来たので、T氏がそのベンツに、
わざと手をぶつけ、極道が降りて来て「危ねえじゃねーか!」と言ってきて、T氏が「お前、どこの人間だ?」と
言うと、極道が組織の看板を出してきたので、T氏が「俺は、この辺の水商売の店員達も良く知っているから、
飲み屋のあんちゃんだったら、悪いと思って、どこの飲み屋の人間かと思って聞いたのに、○○組か!
ヤクザの看板出すなら、こっちも引けねーぞ!」とT氏も看板を出し、「お前の事務所に連れて行け。
事務所で話するぞ」と皆で事務所へ行き、相手の極道の上の人間とも話をし、30万取って来た。
【修羅の青春記抜粋】
◎同じく、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった頃、
例の、極道をサラって、リンチした件で、関西方面の事務所で、緊急幹部会に行かなくてはならなくなった。
しかし自分は当時、芸能プロダクションにも所属し、モデルもやっていて、モデル業も支障がない様に平行して
ヤクザ家業もやらしてもらう条件だったのだが、その緊急幹部会には強制参加だと言う、
電話で自分がS兄貴に怒鳴られた時、兄貴に組を辞退したい事を言った時があった。
その時、S兄貴の兄貴分に当たるI叔父貴が、兄貴と一緒に居て、叔父貴が電話に代わり、
「ヤクザは上に怒られて当り前だよ。俺もそうだしみんなそうだよ」と、励ましてくれた
言葉が印象的で、叔父貴に感銘を受けた。彼は、切れるとイケイケだったが、自分に対して、嫌な言動や態度を一度も、
とったことないし、頭も良く、気さくで、大好きだった。
自分は、束縛が大嫌いな自由人な為に、結局、組員としてのやる気が失せて、後日兄弟分にその事を伝えると、
兄弟分がS兄貴に伝えてくれたが、S兄貴は「山根の親の所に行く」と兄弟分に伝えたので、
自分は親の所に行かれたら困るので、仕方なく、警察に中止命令を出してしまったのだ!
結局その兄弟分も訳あって、後日中止命令を出したのだ!
【修羅の青春記抜粋】
◎同じく、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった25歳の頃、
ある下手を自分の兄弟分と一緒に打ってしまい(中止命令)
幾ら警察に中止命令を出して警察援護があっても、当時の内の系列は、日本最大最強と言われてるY一門系統の組
だったし、組員達は怒ってるのだから、懲役覚悟、懲役上等の組員がゴロゴロいたので、確実に〆られる状態だったが、その後、27歳の最初の頃、任侠右翼好健会結成したし、中止命令の件がそのままでは格好悪かったので、会を結成して約1年後の27歳の終わりの頃、電話でS兄貴と復縁し、一緒に中止命令を出した兄弟分にも説得し、二人で腹を括って、やられる覚悟で関西方面の事務所に、S兄貴(後に大物親分となる)やI組長(大物親分)の居る事務所に出向いた!二人で正座をして謝った。
しかし、I組長からは説教はされたが他の組員達からも、何にも暴力制裁やケジメなど取られなかった。
ちゃんと、腹をくくって、ケジメを付けに来た度胸を買ってくれたのだ。
そして好健会結成の話も通し、取り敢えずの、自分達の処遇は後日決めると言う事で、横浜に帰った。
すると後日、横浜ですぐに、ある件で逮捕されてしまったのだ!
話は戻り、S兄貴やI組長や組員達もイケイケで有名だが、組長達や兄貴とも厳しさの中の優しさがあり、性格が良く、
心が広い寛大な人だった。組長や兄貴の事は、やはり上に立つ人間はどこか違うと思った。
I組長との思い出は、関西のI組のI組長の若い衆と、I組長と自分とI叔父貴と、関西の事務所近くの銭湯に行った時に、
I叔父貴がI組長に「山根はホストだったんですよ」と言うと、I組長の若い衆も、偶然元ホストだったので、
I組長がその若い衆に「おい、お前横浜のホストに負けてるぞ」と冗談を言ったり、気さくな人だった。
後は、好健会兼I組の人間数名に「山根は、人を集める器量がある」と、ほめていてくれた。
自分は、I組長の堅気の実弟とはプライベートの付き合いで仲良しだった。何度か、わざわざ横浜まで自分に会いに遊びに来てくれていた。
しかもS兄貴は、男前で元ボクサーで喧嘩も強く、自分の四歳上の地元が大口で横浜S40年代でのNo.1トップアウトローである。
S兄貴は、とても若い衆思いの兄貴で、自分もトラブルで力になってもらった事もある。自分の犯罪歴の事を「山根のやっている事は、ヤクザより悪いよ」
と言われた時があり、大物アウトローのS兄貴から「ヤクザより悪い」と認めてもらい、嬉しかった。
同じく、山根会の一人づつの顔写真では、無い方の自分と同じ年の、地元が磯子杉田の元、
日本最大最強任侠組織系組員で好健会会長代行からは、よく「君は悪過ぎる」と言われていた(笑)
今現在は、I組長もS兄貴も堅気である。I叔父貴とS兄貴の姐さん達も、それぞれ美人で、とても人柄の良い人だった。
S兄貴の家で、よく姐さんから手料理をご馳走になったり、自分がパクられている時、わざわざ東京拘置所に面会に来てくれたりもした。
後は、自分の八歳上の地元が大口の、横浜S36年代トップクラスアウトローのI叔父貴の舎弟達も、みんな良い人達で、
地元が子安の有名人の自分の六歳位年上のK氏や、同じく自分より年上の地元が埼玉のM氏や、
もう本人は、堅気になって真面目にやっているから書くが、地元が大口の自分より年上の
I氏の実妹は、親子で有名芸能人一家の長男の嫁である。
自分の年下の永田の暴走族ではないちょっとしたヤンキーの後輩達が、女絡みで上大岡の浜連港南魁の連中にさらわれて、〆られてしまった件で、
自分がケツを取るつもりで、相手全員を呼び出し、話し合いに行ったところ、永田の後輩と別の地元の計三人が被害者だったが、
その内の一人も、ケツ持ちを呼んでいて、偶然にもI叔父貴の舎弟の自分より年上の地元が大口の、三歳位上のY氏だった。Y氏は他にも2名連れて来てたが、その2名が偶然、自分を知っててくれた。
組には自分より後に入った人だが、Y氏も良い人だった。そしてこの件は、Y氏達に譲り、Y氏が相手達から金を取り、
解決した。
そして自分は、相手のリーダー格の自分の十歳位下の、男前のO氏とはその後は仲良くなり、現在は、
日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組幹部で男を磨いて頑張っている。そして、S兄貴の舎弟達もみんな良い人で、自分の一歳上の、組には自分より後に入ったが、大口の元、浜連総長のY氏や、同じくY氏の舎弟の、自分の同じ年の地元が川崎のI氏。
特に自分の三歳上の、地元が大口のT氏やS兄貴の企業舎弟の自分の一歳上の、
地元が上永谷の15歳から日本トップクラス任侠組織系組員だったF氏などは、特に仲良しだった。
S兄貴には故人の実兄もいて、元大口羅漢のボクサーのアウトロー有名人でしたが、その彼と同級生で兄弟分が、
例の前出の、自分の六歳上の、元浜連大口羅漢総長兼全日本麗心愚連盟総会長で、元石原プロ所属で、神○正○氏の付き人で、元同和団体の茨城支部長のT氏は、元A(ア)運転代行副社長であり、現在は不動産社長でベンツ乗ってて、性格も最高で男前で、今でも私の兄弟分と言う縁もありました。
【修羅の青春記抜粋】
◎中学から同級生で、淋姦永田一家のK氏が、彼は、小柄だが、中学からプロレス愛好家であり、喧嘩も強く、
お互い20代の頃、六ッ川を一緒に歩いていたら、不良のカップルと擦れ違いざまに、K氏よりも、
身長が20センチ位高い、長身の男に睨まれて、K氏と相手とが、メンチの切り合いになって、
向こうに因縁を付けられたのだ。二人はタイマンで、掴み合いになり、K氏は頭突きを入れて、相手をボコボコにして、相手が血だらけになり、
連れの女が、ビビッて悲鳴を挙げながら、近所の知り合いの寿司屋に逃げ込み泣き付き助けを求め、
店員達を呼んで来て、私が相手連中に、圧力をかけて、話をつけたという、K氏は武勇伝の持ち主である。
自分が好健会の時に、中学から同級生で、淋姦永田一家で好健会本部長兼山根会本部長で自分の舎弟のK氏が、
地元の一歳上の先輩と横浜西口で飲みに行った帰りに、極道二人組が何者かと喧嘩をしていたので、
止めに入り相手を逃がし、今度は極道二人と二人が喧嘩になり、相手が組織の看板を出してきたので、
K氏も「上等だー!こっちも不良だ!」と言ったそうだが、
Kは酒が入っていたので、上等と言ったことに関しては、言った覚えは無かった。
そしてKが手を出したことが原因で相手の組の応援部隊大勢に、
K氏がさらわれて、ボコボコに〆られたリンチを喰らい、自分の当時の自宅兼事務所に
相手の組のリーダー格から電話がかかってきた。
そこの組には、自分の暴走族時代の他の地元後輩二人ともう一人、知り合い計三人が居るところだったが、
その内二人の後輩は、懲役の最中だった。
後、そこの組長の兄弟分であり、元、日本トップクラス任侠組織系組長T氏に自分はお世話になっていたので、
そのT氏(T氏は、自分も仲良しの、自分より年上の、地元が戸塚の、日本トップクラス任侠組織系組長W氏とも兄弟分)
の名前を出したら、向こうもT氏を「よく知ってますよ」と言っていた。
が、幾ら共通人物がいるといっても、揉める時は揉めてしまう訳だし、どうなるか分からなかったが、
朝4時頃で、時間も時間だったし、これが組織の代表の宿命だと思って、自分はたった一人で単身タクシーで
腹をくくって、相手の組事務所に、Kを丸腰で引き取りに行った。
相手の事務所には約十人召集しており、Kの顔面はボコボコに腫れていた。
K氏が、自分に頭を下げて、謝っていたので、自分はニコっと微笑んだ。
掛け合いをして「とりあえず、こいつを病院に連れて行きます」と自分が言い、
組のリーダーが「こっちも凄いからさ」と言っていた。
K氏を取り返して来た。この組は、この時は自分の事は手を出さなかった事には感謝している。
話は戻るが、自分が相手の事務所に向かってる最中、Kが組員数人から
「山根って、弘明寺の山根か?」と聞かれた。
自分達が近くの病院に行った帰りに、K氏が揉めた相手の当事者が、車で舎弟に連れられ、病院に来た。
自分達が帰る時、外で車の中の相手を確認すると、相手の当事者も、顔がKと同じくらいに酷く腫れていた。
その怪我は、最初喧嘩していた連中にやられた時のものであり、Kが揉めた時は少ししか手は出してはいなかった。
そして彼はよりによって、自分が10代の時に、ポーカーゲーム屋で働いていた時に、一歳年下だったが、
自分より早く先にその店に入っていて、自分に仕事を教えてくれたり、世話になったことがある、
某チームの元暴走族の男で、自分がこの組の三人の知り合いの内の一人の、この組の最高幹部に出世していたN氏だった。
しかし、この件で顔が酷く腫れ上がったお互い二人は、まず相手のN氏の方は、
複数の何者かにやられて、顔が腫れ上がっている状態にも拘らず、相手の喧嘩相手達に一歩も引かず、Kにも少しやられ、
「Kに犯人を逃がされた」と納得いかず、悔しがっており、Kの方もらわれて、リンチを喰らいながら顔が酷く腫れたのにも関わらず、
命乞いをせず、二人とも、相当な気合の入った根性者である。
その日は、N氏とはお互いに会話もせず、Kと帰った、K組応援部隊に、さらわれてリンチで〆られた後、
背中の刺青と、財布の中の名刺で、内の任侠右翼と言う事が判明した。
自宅に帰ると、玄関にインターホンが鳴り、出てみると、そこには例の、相手の組長と兄弟分であった、
自分がお世話になっていた地元が戸塚で長身男前の以前は80人の元組長だった当時の一家のトップクラスだった
T氏が、戸塚と瀬谷の後輩を連れて来ていた。T氏には、実子がいて、自分の一歳上の性格も最高で、
地元泉区の日本最大最強任侠組織系組幹部であった彼から紹介を受けたのだった。
相手の組のリーダーから連絡があり、訳を聞いたと言う。
T氏は、私の事を「よく一人で行って、簡単に返してもらったな」と感心していた。
「Tさんの名前のお陰でもあります」とお礼を述べた。しかし、T氏は、悪い意味ではなく、今後後腐れないように、
和解前提で、相手の組長が中華街の喫茶店で話し合いをT氏同席で希望して来てると、伝えてきた。
後日話し合い当日、自分とKの二人で、中華街に行く前に、一回T氏との待ち合わせ某場所の待ち合わせに向かったが、
T氏が一向に現れず、運悪くT氏の携帯番号も変わっていて、一時間位待っても来なかったので、中華街に行ったら、
T氏は、先にはいたが、当然その場にいた関係者全員の雰囲気が悪くなっており、
話し合いの乗っけから、下手を打ってつまずいてるようじゃ話にならない。
自分は、当日の待ち合わせの事の成り行きを説明し、T氏の事をずーと待ってた事を主張し、
何とか次に進んだ。自分はT氏が間に入ってるし、N氏もポーカー屋で世話になっており、
知らない仲ではないし、前日一人での掛け合いでは自分に手をかけず、すぐに帰してる為。
K組に対しては、無理に押す事も出来ないし、かと言って引く事も出来ない。
しかし相手の組の当事者Nは顔面が包帯だらけで、酷く腫れ上がっており、Kも同じ様な状態だが、明らかN氏の方が重症だった。
雰囲気は、悪い状況で進む事になる。N氏が「お前、まだ片目開くからいいな!」「何でお前があそこで入って来るんだよ!」
「俺に手をかけて、あいつら逃がしやがって!俺に○○組上等だ!と言ったよな!ケジメ付けろ!」
するとN氏が「山根さん、どっかで会った事ない?」と向こうも覚えてたので「ポーカーゲーム屋で」と答えると、
N氏は「山根さんは自分の生き方知ってますよね?」と言っていて、彼は、タイマンはそれほど強い人間ではなかったが、
こうして相当やられてるにも関わらず、ケロッとしてる根性や、暴走族時代私と同じ年の
彼からすると一歳上の先輩であり有名人だった奴と揉めて、刃物で刺しちゃったりの
横浜s45年代トップクラスアウトローだった。自分は痛み訳を主張し「こいつは、上等とは言ってないって
言ってるんですよ」自分はKに「言ってないんだろ!ハッキリしろ!」と罵倒した!
話し合いの最中に、K組長(後に一家総長)が自分だけ別席に呼び「全然来ないから、
そっちの事務所にダンプカー突っ込まそうと思ってたんだよ。お宅若い衆どんな教育してんの?K組上等だ!なんて言って、
ケジメつけてもらわないと、横浜中の組織全部敵に回すよ。○○組の看板出したって、ぶつかる時は
ぶつかるよ」と言われたが、自分はKが上等とは言ってない事と、こっちも相当怪我をしてると言う事と、
T氏からは、和解前提の話合いだと連れて来られた事を主張した。
それでも引かないK組長に対して、自分は今までにトラブルなどで、他人に相談したり、
頼ったりするのは、嫌だったので、今までに人にケツを持ってもらう事は、殆どなかったが、
この時は、さすがに自分ではどうにもならず、金も払いたくなかったので「自分の一存では、
決められないので、兄貴分に何かあったら相談しろと言われてますので、相談して来ます」と言うと、
T氏が「じゃあ俺が一緒に、その兄貴の所に、話合いに行くよ。それならいいだろ?」と言うので、
公衆電話に電話して、兄貴に事の成り行きを説明すると、T氏は、間に入ってくれてる味方という
事を説明し、T氏にも変わった。当日たまたま兄貴は忙しかった。
そして兄貴は「後で料理するから、取り敢えずお前らは帰ってろ」と言うので、説明して帰るとすると、
K組リーダーが「T氏の立場はどうなるの?」と言って来て、T氏が「今K組の事務所に若頭と相談役が
待機してるから、その二人に、事の成り行きを説明して帰ってくれ」と言うので、
全員で事務所に移動し、K組は七名T氏と自分とKとなった。
N氏は「山根さんは、KがK組上等だ!とは言ってないと言ってますけど、と言う事は、
俺が嘘をついてると言ってるんですか?」と言って来て、話し合いの最中に、
先日好健会兼日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員が、K組組員と留置所で揉めた件で、K組組員の自宅を金属バットを持って襲撃したことがあり、その件を確認して来て、
その若い衆は山根の所の人間か聞いてきたので、その通りに答えた。
しばらくすると、N氏は「じゃあもういいよ。出直してきなよ」と言ったが、
相談役が「話が付くまで帰せないよ」と言ってきた。T氏は以前電話で「名前だけでも好健会の最高顧問に」と言っていたのにも、関わらず、T氏が好健会最高顧問かどうかの話になった時に、その時、自分が「言ってたじゃないですかー!電話で、名前だけでも最高顧問に」と言うと、T氏が笑いながら「言ってねーよ!言う訳ねーじゃん」と寝返りを打ったのだ。T氏も、双方とのシガラミや関係もあるし、横浜西口KvsN事件と、
K組自宅襲撃事件と、やらでバツが悪く、立場がなく、挟まれてサンドイッチ状態で困ってたと思うので
仕方なかったと思う。K組の坊主頭の幹部が「100万詰める話はどうなってるの?」と言うと、
K組リーダーが「その話も蹴ってるの」と言い、その幹部が「100万払わなければ
この金属バットでボコボコにするよ!」と言って来たので、自分は怒った形相でギラっと幹部を
睨みつけた!そこで、自分が引かず、向こうの要求に中々応じない為、若頭が
「K組上等だ!と言ってない事にしたのは、どっちですか?」と言って来て、
自分達は言ってる意味がよくわからなかったので、Kとお互いに顔を合わせ、首を傾げていると、
若頭が「どっちだー!」と発狂して来て「こんな奴らは」と殴って来ようとする素振りを見せてたので、
自分達は、相手のヤクザ事務所にたった二人で、相手は七人凶器付きだったので、
しかも、前出のN氏とのシガラミやK組とのシガラミもあったので、言い訳ではなく、
勝てる訳なく、映画や漫画の世界の様には行かず、自分は取り敢えず、体をかわし、逃げ腰になり
若頭に捕まり、腰回りを持ち上げられて「この野郎!」と!罵声を浴びたが、手は出されなかったが、
若頭が「テメーらも、何グズグズしてんだよ!早くやれよ!」と怒鳴り、自分には誰も手は出さなかったが、
Kが中年坊主幹部に、背中を蹴られると、相談役が「もういいよ!」と怒鳴った!
Nが自分に「お前何逃げてんだよ!何が若頭だよ!お前ガキの頃からそうだな!」と罵声を浴びせてきた!
この「ガキの頃からそうだな」と言うのは、彼とポーカーゲーム時代に誰かから逃げたとか、
下手を打ったり、安目を売ったりした訳ではなくて、
二ヶ月程でその店を辞めてしまったので、その事を根性がないと言ってるのである。
そして、K組リーダーに「だからお前は100万払えばいいんだよ!」と、首を縦に振りざるを
得ない状態に持って行かれてしまい、承諾してしまった。
T氏が「じゃあいつまで払える?」と言い、期日を決めた。
先日の、若い衆を、たった一人で掛け合いで引き取りに行った所までは、格好が付いて、良かったが、
この日の一連の原因や理由は置いておいて、これらがあった、この日こそ、
みっともなく情けないと思った時はなかった。
しかし、自分は、ただで転ぶ人間ではなかった。
金などは、最初から払うつもりは毛頭ない。この不利な状況から一早く抜け出して、
報復を考えていたのだ!金の話が終わり、すぐにそのまま解放されたが、
自分達は、そのまま自宅に帰ると、兄貴に事の成り行きを報告した後、
「そんなのツーペーに決まってるじゃねーか」と言っていて、
兄貴は、当日忙しかったので、後日話し合う事になっていた。
そして、懲役上等の若い衆に連絡をし、自分が若頭をチャカで弾き殺す連絡をした。
自分達は、ステゴロ最強が多いし、横浜組織は昔から、協定が組まれてて、
チャカの使用が禁止になってる地区なので、チャカ道具に頼る事はなかった。
ガラス割りは、誰でも出来る仕事だと思うが、人の体に鉛を入れるのは、
度胸やセンスがないと、難しい仕事なので、若い衆に走らせると、
下手を打つ可能性があり、心配だったので、会長自ら走り、
この若い衆に、懲役身代わりなってもらおうと話をして、
勿論身柄拘束中の金銭的ケアも、出所後のケアも説明したが、腰抜けで難色を示した。
しかし、普段から「会長に何かあったら、自分が喧嘩でも懲役でも飛びますから何でも言って下さい」と
何回も言ってくれてる若い衆が二名いたのだが、そう言ってくれてる若い衆には
気持ちだけが嬉しくなってしまい、イザ打ち明ける時に直面すると、言いずらく言いにくいもんである。
だが、意を決して、話をしようとした日に、上同士の兄貴とK組との話し合いにより、電話一本で
終わってしまった。「山根に100万請求するって事は、俺に100万請求してるのか?」など言って、
手打ちとなった。S兄貴は、男前で、元ボクサーで喧嘩も強く、横浜s40年代トップアウトローであった。
性格も良く、厳しさの中に優しさがあった人だった。
後日兄貴には、Kと一緒に、気持ちで謝礼金を持って行った。
偶然だが、後年N氏は 拳銃自殺で亡くなり、K総長は病気で亡くなられ、若頭も病気で亡くなられた。ご冥福をお祈りします。
そして、自分が以前に、100万ずつ金を貸してる、ある二名と返済トラブルになり、
その二名が、相談して、和解交渉の間に入って来た美人熟女女性が、
何と!例の、故・若頭の元奥様であり、未亡人姐さんである!不思議な縁である!
例の自分が、金を請求された抗争の件では、当時若頭が、この奥様に、
「○○と抗争になってるから、家から出るな!車も出すな!」と、警戒態勢を敷いてたとの事。
現在、この姐さんは、自分の良きビジネスパートナーとなっている。
【修羅の青春記抜粋】
◎31歳位の好健会の時、自分の三歳上の、地元が上大岡で、関西某独立任侠組織系組長実子で、10代の時に、
特等久里浜少年院の大将を務めたり、横浜S41年代トップクラスアウトローで、凶暴で有名であり、当時日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組最高幹部であったU氏から、U氏が懲役中の間に、U氏の彼女を自分がちょっかいを出した(実際は身長170の元ミス江ノ島の、絶世長身美女K氏の、向うから私が告られて、K氏がU氏が服役中に一回別れてから付き合ってた)と言う事案と、もう一つ、U氏の別の彼女を自分達が数人で輪姦して、一ヶ月の間、集団で連れ回し、
彼女を手込めにしたという事で、追い込みを掛けられた事があったのだが、元ミス江ノ島の件は、事情を説明すると納得したが、もう一人の彼女の件も、自分にも言い分があり、話もしたが、最後まで引かなかった。
そして、U氏と電話で話をした時、彼から痛い一言を浴びたのだ。
「山根さんよぅ、これ逆の立場だったらどうよ?そっちだって自分の女こうなったら、何とかするでしょ?俺は自分の女が言ってる事を信じてあげたいし、俺の立場だって分かって下さいよ!」と言っていた。さすがは喧嘩上手だった。
この今回のトラブルは、自分達が、元々、大義名分の分が悪かったのと、丁度、執行猶予期間中の身であったのと、
相手もツワモノだっただけに、手強かったが、最終的には、S兄貴とU氏の兄貴との上同士の話し合いになり、
お互いが歩み寄って折り合いを付けて、少額の示談金で手打ちとなったが、U氏はイケイケで有名な人物だが、
性格が良く、頭も良く、凄く人間が出来ている漢だった。U氏とは共通人物も多かったのも何かの縁だったが、
その後もちょくちょく連絡をくれて良い付き合いの仲良しだった。そして彼の兄貴分が例の、自分が23歳の時の電話で
後輩の極道への取り立ての時の、電話の相手のN氏であった。
【修羅の青春記抜粋】
↓
◎23歳のホスト社長の時、自分の三歳下の、浜連戸部蘭の後輩で、当時日本トップクラス横浜任侠組織系組員のA氏が、自分の店に数人で飲みに来た付けの金を払う予定が、A氏と連絡が中々取れないことがあり、自分がA氏の携帯に再度電話をした時に、A氏の兄貴分N氏が電話に出て、自分が名前を言い、どちらかを訪ねると「自分○○○と言います」と腰が引く、キチンと敬語で対応してくれて、自分が「ああそうですか。申し訳ありませんがA君に、自分へ連絡をするように、お伝えして頂けますか?」とお願いしたら、それまで連絡が中々取れなかった、A氏から、すぐに連絡が入り、飲み代も払ってもらい、これは彼の兄貴分のN氏のお陰であり、大変感謝しており、N氏は自分より七、八歳位上だが、
南が丘中学出身で、同じ南区出身の、元浜連上大岡グループの、現在、日本トップクラス任侠組織系横浜大物親分になっている有名人である。
A氏も現在はそこのお偉いさんになっていてA氏は元々明るい気さくな極道である。
【修羅の青春記抜粋】
そして二人目
【山根HPより抜粋】
※芸能兼AVプロダクション経営(山根プロダクション 事務所西区)
※運転回送経営(A{ア}運転回送サービス 事務所西区)
※通信販売業(ネットショッパーオーク 古物商許可番号451370010631号 事務所西区)
※出張ホスト(ニューダンディー 神奈川県警察届出済 第451350003907号)
※医科器械店顧問2店(㈱増田医科器械店 本社南区 ㈱東洋医科工業 本社南区 東京支社文京区)
同顧問・瀬谷区三ツ境横浜桐峰会病院:松本義峯院長
※高級交際クラブ専属スカウトマン兼顧問(西区)
※クリーニング店顧問2店(おしどりクリーニング 南区・スワンクリーニング 磯子区)
※新・中古車販売・一般修理・板金塗装・車検顧問(オートガレージ アスト 磯子区)
※株式会社山根企画代表取締役社長(会社事務所:横浜西区横浜東口事務所)
医科器械店顧問2店(㈱増田医科器械店 本社南区 ㈱東洋医科工業 本社南区 東京支社文京区)
同顧問・瀬谷区三ツ境横浜桐峰会病院:松本義峯院長
この、私が顧問やってる増田医科器械店の、同じく顧問やってた松本義峯院長が、自殺したニュースが、
今朝からテレビトップニュースで、バンバンやっててビックリしました!
私は提携先の内の一つの病院である、いつもブログで名前出してる、六ッ川Y内科のY医院長である、
Y医院長とは、仲良くさせて頂いてて「背が高いね」などホメて頂いたり、お仕事でお世話にもなってますが、
こちらの松本義峯院長とは面識がなく、増田社長を通してお互いに存在は知っており、
私の複数の内の一人の彼女も、増田社長と一緒に3人で食事に連れて行ってもらったり、
私の同じ年の親友の内の一人も、個人的にお世話になったりもした恩人なので、
とても残念で、悲しいです!S兄貴、松本先生の両名の、ご冥福をお祈りしてます!




数日前に、私が男を磨いた、日本最大任侠組織時代の兄貴分だったS氏と、今朝からトップニュースになってる、
横浜瀬谷の桐峰会病院の医院長である、松本先生です!
※S兄貴!ご無沙汰しております!何と言ってよいのか言葉も見付からず、愕然としております!
アチコチで、トラブルや問題ばかり起こして、迷惑や面倒ばかりかけて、時にはケツモも持って、力になってもらい、
協力もしてもらいました!「山ちゃんはいい男だな」や」「山根のやっている事は、ヤクザより悪いよ」など、
ホメてもくれた言葉も、今でも印象に残っています!
上下関係や、ヤキも当たり前の任侠の世界でも、兄貴から電話では、怒られた事は何回もありましたが、自分には目の前では手は出さずに、一回だけ、誤解により、顔面に軽~く、一発だけワンパンを食らった事はありましたが、全然痛くなかった「軽~く」は、元ボクサーだった兄貴からしたら、自分に対しての、手加減した思いやりだったですよね!
自分が刑務所から出所して「もう更生して真面目になるから、不良の連中が嫌いになった訳ではなく、
ケジメの気持ちとして、不良仲間とは、縁を切るお話をして、兄貴とも縁を切るお話をさせてもらって、
兄貴にも納得してもらい、疎遠になってましたが、幾ら縁を切ったとは言え、色々とお世話にもなり、
自分が任侠の世界で、男を磨いた時代の、男を磨いてくれたのも、兄貴でした!
自分が「縁を切っても、自分の胸の心の中では、いつまでも心の兄貴でいて下さい」とは、
それは、兄貴との最後の会話でも、伝えましたよね!
自分は、S兄貴と出会えたから、今の自分があると言う、人物の中の内の、兄貴は一人です!
兄貴は厳しさの中に優しさがあり、美人で性格も最高の、姐さんとの共に思い出もたくさんあり、
縁を切っても、自分の胸の心の中では、いつまでも心の兄貴でした!
でも、今は本当の意味でも、自分の胸の心の中では、いつまでも心の兄貴になってしまい、複雑な心境です!
今後は、曲がった事が大嫌いだった、S兄貴魂を胸に秘め、任侠道としてではありませんが、「男」としての人生を邁進して行きます!またお互いに生まれ変わったら、再会しましょう!
男前で、地元大口の神様的存在で、横浜S40年代トップアウトローで、横浜歴代トップクラスアウトローで、
若い衆思いで、性格も男義も最高の兄貴分だった、S兄貴追悼!永遠成り!

この一覧表の一番上の、一番左がS兄貴。好健会最高顧問兼山根会最高顧問にも就任してくれてて、心強かった。

【S兄貴とのエピソード修羅の青春記編】
◎同じくここの組の時、自分とS兄貴とI叔父貴と姐さんと組員四人の計八人で高速道路を走行中、
I 叔父貴と姐さんの車が、一台の別の極道幹部のベンツに煽られ、事故をしそうになった為、その交通トラブルから
七人で降りて行き、まず自分がそのベンツの上に上がり車を潰し、その極道を皆で山奥にさらい、
皆で 殴る蹴るの暴行のリンチを加えた。しかしこの極道も顔面を腫らしながら音を上げず、
命乞いもせず根性が入っていた為に ヤキが終わった後、自分は「根性入ってるよ」と声をかけた。この件はその後、
一悶着あったが、手打ちとなった。この件で上部団体であるG会本部のU代行が、
「しかし、Sと山根は無茶苦茶やりまんのう」と言っていたらしい(笑)
と(器物損壊、逮捕監禁、集団暴行)
【修羅の青春記抜粋】
◎自分が25歳の、日本最大最強任侠組織系組員の時、自分の兄弟分T氏(後に、好健会最高顧問となる)や、
自分の兄貴分S氏(後に、山根会最高顧問や好健会最高顧問となる)の多数の武勇伝の内の一つだが、
T氏の方は横浜某所で、T氏達組員四人で車に乗っている時、ベンツの二人組の極道と交通トラブルになり、
T氏が一人で、二人組の極道に、暴行を加え〆たり、T氏とS氏と、もう一人の組員S氏の三人で、東京の某駅周辺の
某所を歩いていたら、極道が乗るベンツが、乱暴な運転で走って来たので、T氏がそのベンツに、
わざと手をぶつけ、極道が降りて来て「危ねえじゃねーか!」と言ってきて、T氏が「お前、どこの人間だ?」と
言うと、極道が組織の看板を出してきたので、T氏が「俺は、この辺の水商売の店員達も良く知っているから、
飲み屋のあんちゃんだったら、悪いと思って、どこの飲み屋の人間かと思って聞いたのに、○○組か!
ヤクザの看板出すなら、こっちも引けねーぞ!」とT氏も看板を出し、「お前の事務所に連れて行け。
事務所で話するぞ」と皆で事務所へ行き、相手の極道の上の人間とも話をし、30万取って来た。
【修羅の青春記抜粋】
◎同じく、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった頃、
例の、極道をサラって、リンチした件で、関西方面の事務所で、緊急幹部会に行かなくてはならなくなった。
しかし自分は当時、芸能プロダクションにも所属し、モデルもやっていて、モデル業も支障がない様に平行して
ヤクザ家業もやらしてもらう条件だったのだが、その緊急幹部会には強制参加だと言う、
電話で自分がS兄貴に怒鳴られた時、兄貴に組を辞退したい事を言った時があった。
その時、S兄貴の兄貴分に当たるI叔父貴が、兄貴と一緒に居て、叔父貴が電話に代わり、
「ヤクザは上に怒られて当り前だよ。俺もそうだしみんなそうだよ」と、励ましてくれた
言葉が印象的で、叔父貴に感銘を受けた。彼は、切れるとイケイケだったが、自分に対して、嫌な言動や態度を一度も、
とったことないし、頭も良く、気さくで、大好きだった。
自分は、束縛が大嫌いな自由人な為に、結局、組員としてのやる気が失せて、後日兄弟分にその事を伝えると、
兄弟分がS兄貴に伝えてくれたが、S兄貴は「山根の親の所に行く」と兄弟分に伝えたので、
自分は親の所に行かれたら困るので、仕方なく、警察に中止命令を出してしまったのだ!
結局その兄弟分も訳あって、後日中止命令を出したのだ!
【修羅の青春記抜粋】
◎同じく、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった25歳の頃、
ある下手を自分の兄弟分と一緒に打ってしまい(中止命令)
幾ら警察に中止命令を出して警察援護があっても、当時の内の系列は、日本最大最強と言われてるY一門系統の組
だったし、組員達は怒ってるのだから、懲役覚悟、懲役上等の組員がゴロゴロいたので、確実に〆られる状態だったが、その後、27歳の最初の頃、任侠右翼好健会結成したし、中止命令の件がそのままでは格好悪かったので、会を結成して約1年後の27歳の終わりの頃、電話でS兄貴と復縁し、一緒に中止命令を出した兄弟分にも説得し、二人で腹を括って、やられる覚悟で関西方面の事務所に、S兄貴(後に大物親分となる)やI組長(大物親分)の居る事務所に出向いた!二人で正座をして謝った。
しかし、I組長からは説教はされたが他の組員達からも、何にも暴力制裁やケジメなど取られなかった。
ちゃんと、腹をくくって、ケジメを付けに来た度胸を買ってくれたのだ。
そして好健会結成の話も通し、取り敢えずの、自分達の処遇は後日決めると言う事で、横浜に帰った。
すると後日、横浜ですぐに、ある件で逮捕されてしまったのだ!
話は戻り、S兄貴やI組長や組員達もイケイケで有名だが、組長達や兄貴とも厳しさの中の優しさがあり、性格が良く、
心が広い寛大な人だった。組長や兄貴の事は、やはり上に立つ人間はどこか違うと思った。
I組長との思い出は、関西のI組のI組長の若い衆と、I組長と自分とI叔父貴と、関西の事務所近くの銭湯に行った時に、
I叔父貴がI組長に「山根はホストだったんですよ」と言うと、I組長の若い衆も、偶然元ホストだったので、
I組長がその若い衆に「おい、お前横浜のホストに負けてるぞ」と冗談を言ったり、気さくな人だった。
後は、好健会兼I組の人間数名に「山根は、人を集める器量がある」と、ほめていてくれた。
自分は、I組長の堅気の実弟とはプライベートの付き合いで仲良しだった。何度か、わざわざ横浜まで自分に会いに遊びに来てくれていた。
しかもS兄貴は、男前で元ボクサーで喧嘩も強く、自分の四歳上の地元が大口で横浜S40年代でのNo.1トップアウトローである。
S兄貴は、とても若い衆思いの兄貴で、自分もトラブルで力になってもらった事もある。自分の犯罪歴の事を「山根のやっている事は、ヤクザより悪いよ」
と言われた時があり、大物アウトローのS兄貴から「ヤクザより悪い」と認めてもらい、嬉しかった。
同じく、山根会の一人づつの顔写真では、無い方の自分と同じ年の、地元が磯子杉田の元、
日本最大最強任侠組織系組員で好健会会長代行からは、よく「君は悪過ぎる」と言われていた(笑)
今現在は、I組長もS兄貴も堅気である。I叔父貴とS兄貴の姐さん達も、それぞれ美人で、とても人柄の良い人だった。
S兄貴の家で、よく姐さんから手料理をご馳走になったり、自分がパクられている時、わざわざ東京拘置所に面会に来てくれたりもした。
後は、自分の八歳上の地元が大口の、横浜S36年代トップクラスアウトローのI叔父貴の舎弟達も、みんな良い人達で、
地元が子安の有名人の自分の六歳位年上のK氏や、同じく自分より年上の地元が埼玉のM氏や、
もう本人は、堅気になって真面目にやっているから書くが、地元が大口の自分より年上の
I氏の実妹は、親子で有名芸能人一家の長男の嫁である。
自分の年下の永田の暴走族ではないちょっとしたヤンキーの後輩達が、女絡みで上大岡の浜連港南魁の連中にさらわれて、〆られてしまった件で、
自分がケツを取るつもりで、相手全員を呼び出し、話し合いに行ったところ、永田の後輩と別の地元の計三人が被害者だったが、
その内の一人も、ケツ持ちを呼んでいて、偶然にもI叔父貴の舎弟の自分より年上の地元が大口の、三歳位上のY氏だった。Y氏は他にも2名連れて来てたが、その2名が偶然、自分を知っててくれた。
組には自分より後に入った人だが、Y氏も良い人だった。そしてこの件は、Y氏達に譲り、Y氏が相手達から金を取り、
解決した。
そして自分は、相手のリーダー格の自分の十歳位下の、男前のO氏とはその後は仲良くなり、現在は、
日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組幹部で男を磨いて頑張っている。そして、S兄貴の舎弟達もみんな良い人で、自分の一歳上の、組には自分より後に入ったが、大口の元、浜連総長のY氏や、同じくY氏の舎弟の、自分の同じ年の地元が川崎のI氏。
特に自分の三歳上の、地元が大口のT氏やS兄貴の企業舎弟の自分の一歳上の、
地元が上永谷の15歳から日本トップクラス任侠組織系組員だったF氏などは、特に仲良しだった。
S兄貴には故人の実兄もいて、元大口羅漢のボクサーのアウトロー有名人でしたが、その彼と同級生で兄弟分が、
例の前出の、自分の六歳上の、元浜連大口羅漢総長兼全日本麗心愚連盟総会長で、元石原プロ所属で、神○正○氏の付き人で、元同和団体の茨城支部長のT氏は、元A(ア)運転代行副社長であり、現在は不動産社長でベンツ乗ってて、性格も最高で男前で、今でも私の兄弟分と言う縁もありました。
【修羅の青春記抜粋】
◎中学から同級生で、淋姦永田一家のK氏が、彼は、小柄だが、中学からプロレス愛好家であり、喧嘩も強く、
お互い20代の頃、六ッ川を一緒に歩いていたら、不良のカップルと擦れ違いざまに、K氏よりも、
身長が20センチ位高い、長身の男に睨まれて、K氏と相手とが、メンチの切り合いになって、
向こうに因縁を付けられたのだ。二人はタイマンで、掴み合いになり、K氏は頭突きを入れて、相手をボコボコにして、相手が血だらけになり、
連れの女が、ビビッて悲鳴を挙げながら、近所の知り合いの寿司屋に逃げ込み泣き付き助けを求め、
店員達を呼んで来て、私が相手連中に、圧力をかけて、話をつけたという、K氏は武勇伝の持ち主である。
自分が好健会の時に、中学から同級生で、淋姦永田一家で好健会本部長兼山根会本部長で自分の舎弟のK氏が、
地元の一歳上の先輩と横浜西口で飲みに行った帰りに、極道二人組が何者かと喧嘩をしていたので、
止めに入り相手を逃がし、今度は極道二人と二人が喧嘩になり、相手が組織の看板を出してきたので、
K氏も「上等だー!こっちも不良だ!」と言ったそうだが、
Kは酒が入っていたので、上等と言ったことに関しては、言った覚えは無かった。
そしてKが手を出したことが原因で相手の組の応援部隊大勢に、
K氏がさらわれて、ボコボコに〆られたリンチを喰らい、自分の当時の自宅兼事務所に
相手の組のリーダー格から電話がかかってきた。
そこの組には、自分の暴走族時代の他の地元後輩二人ともう一人、知り合い計三人が居るところだったが、
その内二人の後輩は、懲役の最中だった。
後、そこの組長の兄弟分であり、元、日本トップクラス任侠組織系組長T氏に自分はお世話になっていたので、
そのT氏(T氏は、自分も仲良しの、自分より年上の、地元が戸塚の、日本トップクラス任侠組織系組長W氏とも兄弟分)
の名前を出したら、向こうもT氏を「よく知ってますよ」と言っていた。
が、幾ら共通人物がいるといっても、揉める時は揉めてしまう訳だし、どうなるか分からなかったが、
朝4時頃で、時間も時間だったし、これが組織の代表の宿命だと思って、自分はたった一人で単身タクシーで
腹をくくって、相手の組事務所に、Kを丸腰で引き取りに行った。
相手の事務所には約十人召集しており、Kの顔面はボコボコに腫れていた。
K氏が、自分に頭を下げて、謝っていたので、自分はニコっと微笑んだ。
掛け合いをして「とりあえず、こいつを病院に連れて行きます」と自分が言い、
組のリーダーが「こっちも凄いからさ」と言っていた。
K氏を取り返して来た。この組は、この時は自分の事は手を出さなかった事には感謝している。
話は戻るが、自分が相手の事務所に向かってる最中、Kが組員数人から
「山根って、弘明寺の山根か?」と聞かれた。
自分達が近くの病院に行った帰りに、K氏が揉めた相手の当事者が、車で舎弟に連れられ、病院に来た。
自分達が帰る時、外で車の中の相手を確認すると、相手の当事者も、顔がKと同じくらいに酷く腫れていた。
その怪我は、最初喧嘩していた連中にやられた時のものであり、Kが揉めた時は少ししか手は出してはいなかった。
そして彼はよりによって、自分が10代の時に、ポーカーゲーム屋で働いていた時に、一歳年下だったが、
自分より早く先にその店に入っていて、自分に仕事を教えてくれたり、世話になったことがある、
某チームの元暴走族の男で、自分がこの組の三人の知り合いの内の一人の、この組の最高幹部に出世していたN氏だった。
しかし、この件で顔が酷く腫れ上がったお互い二人は、まず相手のN氏の方は、
複数の何者かにやられて、顔が腫れ上がっている状態にも拘らず、相手の喧嘩相手達に一歩も引かず、Kにも少しやられ、
「Kに犯人を逃がされた」と納得いかず、悔しがっており、Kの方もらわれて、リンチを喰らいながら顔が酷く腫れたのにも関わらず、
命乞いをせず、二人とも、相当な気合の入った根性者である。
その日は、N氏とはお互いに会話もせず、Kと帰った、K組応援部隊に、さらわれてリンチで〆られた後、
背中の刺青と、財布の中の名刺で、内の任侠右翼と言う事が判明した。
自宅に帰ると、玄関にインターホンが鳴り、出てみると、そこには例の、相手の組長と兄弟分であった、
自分がお世話になっていた地元が戸塚で長身男前の以前は80人の元組長だった当時の一家のトップクラスだった
T氏が、戸塚と瀬谷の後輩を連れて来ていた。T氏には、実子がいて、自分の一歳上の性格も最高で、
地元泉区の日本最大最強任侠組織系組幹部であった彼から紹介を受けたのだった。
相手の組のリーダーから連絡があり、訳を聞いたと言う。
T氏は、私の事を「よく一人で行って、簡単に返してもらったな」と感心していた。
「Tさんの名前のお陰でもあります」とお礼を述べた。しかし、T氏は、悪い意味ではなく、今後後腐れないように、
和解前提で、相手の組長が中華街の喫茶店で話し合いをT氏同席で希望して来てると、伝えてきた。
後日話し合い当日、自分とKの二人で、中華街に行く前に、一回T氏との待ち合わせ某場所の待ち合わせに向かったが、
T氏が一向に現れず、運悪くT氏の携帯番号も変わっていて、一時間位待っても来なかったので、中華街に行ったら、
T氏は、先にはいたが、当然その場にいた関係者全員の雰囲気が悪くなっており、
話し合いの乗っけから、下手を打ってつまずいてるようじゃ話にならない。
自分は、当日の待ち合わせの事の成り行きを説明し、T氏の事をずーと待ってた事を主張し、
何とか次に進んだ。自分はT氏が間に入ってるし、N氏もポーカー屋で世話になっており、
知らない仲ではないし、前日一人での掛け合いでは自分に手をかけず、すぐに帰してる為。
K組に対しては、無理に押す事も出来ないし、かと言って引く事も出来ない。
しかし相手の組の当事者Nは顔面が包帯だらけで、酷く腫れ上がっており、Kも同じ様な状態だが、明らかN氏の方が重症だった。
雰囲気は、悪い状況で進む事になる。N氏が「お前、まだ片目開くからいいな!」「何でお前があそこで入って来るんだよ!」
「俺に手をかけて、あいつら逃がしやがって!俺に○○組上等だ!と言ったよな!ケジメ付けろ!」
するとN氏が「山根さん、どっかで会った事ない?」と向こうも覚えてたので「ポーカーゲーム屋で」と答えると、
N氏は「山根さんは自分の生き方知ってますよね?」と言っていて、彼は、タイマンはそれほど強い人間ではなかったが、
こうして相当やられてるにも関わらず、ケロッとしてる根性や、暴走族時代私と同じ年の
彼からすると一歳上の先輩であり有名人だった奴と揉めて、刃物で刺しちゃったりの
横浜s45年代トップクラスアウトローだった。自分は痛み訳を主張し「こいつは、上等とは言ってないって
言ってるんですよ」自分はKに「言ってないんだろ!ハッキリしろ!」と罵倒した!
話し合いの最中に、K組長(後に一家総長)が自分だけ別席に呼び「全然来ないから、
そっちの事務所にダンプカー突っ込まそうと思ってたんだよ。お宅若い衆どんな教育してんの?K組上等だ!なんて言って、
ケジメつけてもらわないと、横浜中の組織全部敵に回すよ。○○組の看板出したって、ぶつかる時は
ぶつかるよ」と言われたが、自分はKが上等とは言ってない事と、こっちも相当怪我をしてると言う事と、
T氏からは、和解前提の話合いだと連れて来られた事を主張した。
それでも引かないK組長に対して、自分は今までにトラブルなどで、他人に相談したり、
頼ったりするのは、嫌だったので、今までに人にケツを持ってもらう事は、殆どなかったが、
この時は、さすがに自分ではどうにもならず、金も払いたくなかったので「自分の一存では、
決められないので、兄貴分に何かあったら相談しろと言われてますので、相談して来ます」と言うと、
T氏が「じゃあ俺が一緒に、その兄貴の所に、話合いに行くよ。それならいいだろ?」と言うので、
公衆電話に電話して、兄貴に事の成り行きを説明すると、T氏は、間に入ってくれてる味方という
事を説明し、T氏にも変わった。当日たまたま兄貴は忙しかった。
そして兄貴は「後で料理するから、取り敢えずお前らは帰ってろ」と言うので、説明して帰るとすると、
K組リーダーが「T氏の立場はどうなるの?」と言って来て、T氏が「今K組の事務所に若頭と相談役が
待機してるから、その二人に、事の成り行きを説明して帰ってくれ」と言うので、
全員で事務所に移動し、K組は七名T氏と自分とKとなった。
N氏は「山根さんは、KがK組上等だ!とは言ってないと言ってますけど、と言う事は、
俺が嘘をついてると言ってるんですか?」と言って来て、話し合いの最中に、
先日好健会兼日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員が、K組組員と留置所で揉めた件で、K組組員の自宅を金属バットを持って襲撃したことがあり、その件を確認して来て、
その若い衆は山根の所の人間か聞いてきたので、その通りに答えた。
しばらくすると、N氏は「じゃあもういいよ。出直してきなよ」と言ったが、
相談役が「話が付くまで帰せないよ」と言ってきた。T氏は以前電話で「名前だけでも好健会の最高顧問に」と言っていたのにも、関わらず、T氏が好健会最高顧問かどうかの話になった時に、その時、自分が「言ってたじゃないですかー!電話で、名前だけでも最高顧問に」と言うと、T氏が笑いながら「言ってねーよ!言う訳ねーじゃん」と寝返りを打ったのだ。T氏も、双方とのシガラミや関係もあるし、横浜西口KvsN事件と、
K組自宅襲撃事件と、やらでバツが悪く、立場がなく、挟まれてサンドイッチ状態で困ってたと思うので
仕方なかったと思う。K組の坊主頭の幹部が「100万詰める話はどうなってるの?」と言うと、
K組リーダーが「その話も蹴ってるの」と言い、その幹部が「100万払わなければ
この金属バットでボコボコにするよ!」と言って来たので、自分は怒った形相でギラっと幹部を
睨みつけた!そこで、自分が引かず、向こうの要求に中々応じない為、若頭が
「K組上等だ!と言ってない事にしたのは、どっちですか?」と言って来て、
自分達は言ってる意味がよくわからなかったので、Kとお互いに顔を合わせ、首を傾げていると、
若頭が「どっちだー!」と発狂して来て「こんな奴らは」と殴って来ようとする素振りを見せてたので、
自分達は、相手のヤクザ事務所にたった二人で、相手は七人凶器付きだったので、
しかも、前出のN氏とのシガラミやK組とのシガラミもあったので、言い訳ではなく、
勝てる訳なく、映画や漫画の世界の様には行かず、自分は取り敢えず、体をかわし、逃げ腰になり
若頭に捕まり、腰回りを持ち上げられて「この野郎!」と!罵声を浴びたが、手は出されなかったが、
若頭が「テメーらも、何グズグズしてんだよ!早くやれよ!」と怒鳴り、自分には誰も手は出さなかったが、
Kが中年坊主幹部に、背中を蹴られると、相談役が「もういいよ!」と怒鳴った!
Nが自分に「お前何逃げてんだよ!何が若頭だよ!お前ガキの頃からそうだな!」と罵声を浴びせてきた!
この「ガキの頃からそうだな」と言うのは、彼とポーカーゲーム時代に誰かから逃げたとか、
下手を打ったり、安目を売ったりした訳ではなくて、
二ヶ月程でその店を辞めてしまったので、その事を根性がないと言ってるのである。
そして、K組リーダーに「だからお前は100万払えばいいんだよ!」と、首を縦に振りざるを
得ない状態に持って行かれてしまい、承諾してしまった。
T氏が「じゃあいつまで払える?」と言い、期日を決めた。
先日の、若い衆を、たった一人で掛け合いで引き取りに行った所までは、格好が付いて、良かったが、
この日の一連の原因や理由は置いておいて、これらがあった、この日こそ、
みっともなく情けないと思った時はなかった。
しかし、自分は、ただで転ぶ人間ではなかった。
金などは、最初から払うつもりは毛頭ない。この不利な状況から一早く抜け出して、
報復を考えていたのだ!金の話が終わり、すぐにそのまま解放されたが、
自分達は、そのまま自宅に帰ると、兄貴に事の成り行きを報告した後、
「そんなのツーペーに決まってるじゃねーか」と言っていて、
兄貴は、当日忙しかったので、後日話し合う事になっていた。
そして、懲役上等の若い衆に連絡をし、自分が若頭をチャカで弾き殺す連絡をした。
自分達は、ステゴロ最強が多いし、横浜組織は昔から、協定が組まれてて、
チャカの使用が禁止になってる地区なので、チャカ道具に頼る事はなかった。
ガラス割りは、誰でも出来る仕事だと思うが、人の体に鉛を入れるのは、
度胸やセンスがないと、難しい仕事なので、若い衆に走らせると、
下手を打つ可能性があり、心配だったので、会長自ら走り、
この若い衆に、懲役身代わりなってもらおうと話をして、
勿論身柄拘束中の金銭的ケアも、出所後のケアも説明したが、腰抜けで難色を示した。
しかし、普段から「会長に何かあったら、自分が喧嘩でも懲役でも飛びますから何でも言って下さい」と
何回も言ってくれてる若い衆が二名いたのだが、そう言ってくれてる若い衆には
気持ちだけが嬉しくなってしまい、イザ打ち明ける時に直面すると、言いずらく言いにくいもんである。
だが、意を決して、話をしようとした日に、上同士の兄貴とK組との話し合いにより、電話一本で
終わってしまった。「山根に100万請求するって事は、俺に100万請求してるのか?」など言って、
手打ちとなった。S兄貴は、男前で、元ボクサーで喧嘩も強く、横浜s40年代トップアウトローであった。
性格も良く、厳しさの中に優しさがあった人だった。
後日兄貴には、Kと一緒に、気持ちで謝礼金を持って行った。
偶然だが、後年N氏は 拳銃自殺で亡くなり、K総長は病気で亡くなられ、若頭も病気で亡くなられた。ご冥福をお祈りします。
そして、自分が以前に、100万ずつ金を貸してる、ある二名と返済トラブルになり、
その二名が、相談して、和解交渉の間に入って来た美人熟女女性が、
何と!例の、故・若頭の元奥様であり、未亡人姐さんである!不思議な縁である!
例の自分が、金を請求された抗争の件では、当時若頭が、この奥様に、
「○○と抗争になってるから、家から出るな!車も出すな!」と、警戒態勢を敷いてたとの事。
現在、この姐さんは、自分の良きビジネスパートナーとなっている。
【修羅の青春記抜粋】
◎31歳位の好健会の時、自分の三歳上の、地元が上大岡で、関西某独立任侠組織系組長実子で、10代の時に、
特等久里浜少年院の大将を務めたり、横浜S41年代トップクラスアウトローで、凶暴で有名であり、当時日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組最高幹部であったU氏から、U氏が懲役中の間に、U氏の彼女を自分がちょっかいを出した(実際は身長170の元ミス江ノ島の、絶世長身美女K氏の、向うから私が告られて、K氏がU氏が服役中に一回別れてから付き合ってた)と言う事案と、もう一つ、U氏の別の彼女を自分達が数人で輪姦して、一ヶ月の間、集団で連れ回し、
彼女を手込めにしたという事で、追い込みを掛けられた事があったのだが、元ミス江ノ島の件は、事情を説明すると納得したが、もう一人の彼女の件も、自分にも言い分があり、話もしたが、最後まで引かなかった。
そして、U氏と電話で話をした時、彼から痛い一言を浴びたのだ。
「山根さんよぅ、これ逆の立場だったらどうよ?そっちだって自分の女こうなったら、何とかするでしょ?俺は自分の女が言ってる事を信じてあげたいし、俺の立場だって分かって下さいよ!」と言っていた。さすがは喧嘩上手だった。
この今回のトラブルは、自分達が、元々、大義名分の分が悪かったのと、丁度、執行猶予期間中の身であったのと、
相手もツワモノだっただけに、手強かったが、最終的には、S兄貴とU氏の兄貴との上同士の話し合いになり、
お互いが歩み寄って折り合いを付けて、少額の示談金で手打ちとなったが、U氏はイケイケで有名な人物だが、
性格が良く、頭も良く、凄く人間が出来ている漢だった。U氏とは共通人物も多かったのも何かの縁だったが、
その後もちょくちょく連絡をくれて良い付き合いの仲良しだった。そして彼の兄貴分が例の、自分が23歳の時の電話で
後輩の極道への取り立ての時の、電話の相手のN氏であった。
【修羅の青春記抜粋】
↓
◎23歳のホスト社長の時、自分の三歳下の、浜連戸部蘭の後輩で、当時日本トップクラス横浜任侠組織系組員のA氏が、自分の店に数人で飲みに来た付けの金を払う予定が、A氏と連絡が中々取れないことがあり、自分がA氏の携帯に再度電話をした時に、A氏の兄貴分N氏が電話に出て、自分が名前を言い、どちらかを訪ねると「自分○○○と言います」と腰が引く、キチンと敬語で対応してくれて、自分が「ああそうですか。申し訳ありませんがA君に、自分へ連絡をするように、お伝えして頂けますか?」とお願いしたら、それまで連絡が中々取れなかった、A氏から、すぐに連絡が入り、飲み代も払ってもらい、これは彼の兄貴分のN氏のお陰であり、大変感謝しており、N氏は自分より七、八歳位上だが、
南が丘中学出身で、同じ南区出身の、元浜連上大岡グループの、現在、日本トップクラス任侠組織系横浜大物親分になっている有名人である。
A氏も現在はそこのお偉いさんになっていてA氏は元々明るい気さくな極道である。
【修羅の青春記抜粋】
そして二人目
【山根HPより抜粋】
※芸能兼AVプロダクション経営(山根プロダクション 事務所西区)
※運転回送経営(A{ア}運転回送サービス 事務所西区)
※通信販売業(ネットショッパーオーク 古物商許可番号451370010631号 事務所西区)
※出張ホスト(ニューダンディー 神奈川県警察届出済 第451350003907号)
※医科器械店顧問2店(㈱増田医科器械店 本社南区 ㈱東洋医科工業 本社南区 東京支社文京区)
同顧問・瀬谷区三ツ境横浜桐峰会病院:松本義峯院長
※高級交際クラブ専属スカウトマン兼顧問(西区)
※クリーニング店顧問2店(おしどりクリーニング 南区・スワンクリーニング 磯子区)
※新・中古車販売・一般修理・板金塗装・車検顧問(オートガレージ アスト 磯子区)
※株式会社山根企画代表取締役社長(会社事務所:横浜西区横浜東口事務所)
医科器械店顧問2店(㈱増田医科器械店 本社南区 ㈱東洋医科工業 本社南区 東京支社文京区)
同顧問・瀬谷区三ツ境横浜桐峰会病院:松本義峯院長
この、私が顧問やってる増田医科器械店の、同じく顧問やってた松本義峯院長が、自殺したニュースが、
今朝からテレビトップニュースで、バンバンやっててビックリしました!
私は提携先の内の一つの病院である、いつもブログで名前出してる、六ッ川Y内科のY医院長である、
Y医院長とは、仲良くさせて頂いてて「背が高いね」などホメて頂いたり、お仕事でお世話にもなってますが、
こちらの松本義峯院長とは面識がなく、増田社長を通してお互いに存在は知っており、
私の複数の内の一人の彼女も、増田社長と一緒に3人で食事に連れて行ってもらったり、
私の同じ年の親友の内の一人も、個人的にお世話になったりもした恩人なので、
とても残念で、悲しいです!S兄貴、松本先生の両名の、ご冥福をお祈りしてます!




